足跡、なんてカッコいいもんじゃありません。失敗も恥ずかしい思いもうんとこさ重ねてきました。 良かれと思ったことが裏目に出て、お客様にもご迷惑をおかけしたこと、何度もあります。 でも、今こうしてこの仕事を継続できているのは、お客様や多くの方々のご支援のおかげです。 心からそう思います、はい。 |
現在僕は「会援隊」の中で販売促進を担当していますが、
住宅産業の販促に係わりだしたのは32歳からなのです。
もともと出版社や印刷会社のデザイナーとしてマーケティングや販促を学んできたおかげで、
まったく知らなかった住宅業界でも、販売促進についてはすんなりと馴染むことができました。
しかし、それから現在に至るまでは七転八起の連続で、紆余曲折の歳月でありました。
その七転八起の仕事人生を「沿革」としてご紹介させていただきます。
ダイレクトマーケティングを学びたくて就職したのですが、
この時住宅にはまったく興味がありませんでした。
しかし、住宅業界のマーケティングや家づくりのプロセスを学び、
さらには、住宅業界の中での女性スタッフの戦力化や販促ツールの開発、
セミナーや研修講師等を経験することで、今の僕の基本をつくってくれた会社でした。
生まれて初めて担当したセミナー講師。 持ち時間は1時間。 なんせ「はじめて」なので、事前にしっかり準備したつもりでした。 が、しかし、なんと15分で話は終わってしまった。 しまった、と思ったものの話す話がない・・・。 しかたないから、身の上話をしたが、それも長々話せないし、 |
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さて、困った。 冷や汗が止まらない。 で、結局上司にバトンタッチ。本当に恥ずかしかったなあ。 まあ、今となっては懐かしい笑い話です。 |
とある日、何を思ったか突然独立を決意。住宅産業に特化した販促屋を自分でやりたくなって。
常識的な一般的な販促やツールづくりではなく、もっと自由でおもしろい、
もっとクリエイティブなコトがしたかったから。
個人事業で始めたんですが、この時の屋号がeNだったのです。
始めたころはお客さんもいないので、いろいろな地域の工務店に飛び込み営業もしました。
「いいものつくるから仕事ください!」「安くチラシつくりますよ!」
こんな声がけをしたのですがそれでは仕事はもらえませんでした。
でも「僕がポスティングするからチラシつくらせてください!」と切り込むと
仕事がもらえたこともありました。
で、若くて体力と行動力には自信があったので、さまざまなアイディアを出しては実行に移しました。
ところが(やはり)そのほとんどが失敗に終わります。
失敗、というより「PDCAを廻して改善する」という大事なことがすっぽり抜けているのですから、
そりゃあ無理でした。
それでも徐々にお客さんが増え、多くの方々に助けて頂きました。
人生の先輩たちとの仕事や飲み会で怒られ、指摘され、応援され・・・本当に感謝です。
eNを開業するにあたり、父親から開業資金として500万円を借りました。 事業計画もなく「何とかなるさ〜」と見切り発車でおっぱじめてしまったのです。 なので、あっという間に運転資金がなくなってしまいました。 |
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でもまあ、後ろがなくなってケツに火が付いたことで、 がむしゃら、一生懸命にやりましたから、いい経験になったと思っています。 返済計画通りに父には完済できたし。 |
人脈も増え、お客様も増えたのでeNを法人化しました。 社名は、有限会社エンドレス・ニュー。 仕事が増えて来たのでスタッフも増えました。(増えたといっても最高6人ですが・・・) 当然人件費等の固定費も増え、売上を上げるのに大変な思いもしました。 |
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この頃に「リフォーム」が業界で騒がれてきたようです。 そんな背景から、リフォームを視野に入れた販促策として 平成9年に工務店のOB施主とのコミュニケーションツール「物を大切にしよう新聞」を創刊したのです。毎月発刊し続けてもうすぐ20年になります。 銀行から借入もし、どたばたしながらも12年やってきたのですが、なかなか安定経営には至らず、いよいよ会社をたたまないとだめか、というところに追い込まれ・・・。 |
ある方のご紹介で、住宅ネットワークの仕事に携わりました。
その時のご縁で、エンドレス・ニューのスタッフ全員をこの会社が雇ってくれました。
おかげで、エンドレス・ニューをたたむこともしないでよくなり、
今現在まで休業状態で存続させています。
この住宅ネットワークの会社は、建材流通店さんをネットワーク化し、
流通店さんの取引先である工務店に販促の支援をしていました。
その他、経営支援、商品開発、保険等、流通店さんの存在価値を高めるための
様々なソリューションを提供していました。
この時に出会ったのが、会援隊メンバー、天才田中心吾だったのです。
この会社は、各ソリューション毎に事業部制をとっており、僕が担当するマーケティング部に
意気投合した田中君も在籍していました。
会援隊の理念である「地域のつくり手と一緒に日本の住環境をよくする」を実践するためには
どうすべきか?マーケティング部では毎日のように話し合いました。(当然呑みながら・・・)
そんな僕らの想いの強さが、会援隊をつくる、という行動に突き動いたのでした。
元住宅ネットワークのマーケティング部のメンバーにデザイナーの渋谷かおるを加え、
メンバーそれぞれが自分の得意な分野を担当してシナジー効果が高まるフォーメーションを組みました。
具体的には、商品開発、販促、営業強化、ツール制作をそれぞれが担当しながら、
「選ばれるしくみづくり」を目指したのです。
おかげさまで、それぞれの強みを活かす仕事が継続できていて、
コツコトと頑張れていること、本当にありがたい限りです。
ただ、ひとつ問題なのは、この「選ばれるしくみづくり」がお客様には分かりにくかった、ということ。
具体的に何ができるのか? どんな効果や成果があるのか?
高いのか安いのか? が分かりにくい・・・。
そこで、僕が担当する販売促進は特に分かりにくかった、という反省から
このホームページを作成したのであります。
初めにお断りしますが、今からお話する「このころ転んだ話」、今はやってません。 僕は仕事で日本全国を駆け回っています。 日本は美味しい食べ物と旨い酒の宝庫です。当然、駈け回る各地で、食べて呑みます。 で、ついつい飲みすぎてしまうことも多く。 そんな日の翌日は二日酔いを通り越して、ハイな状態で酔っぱらったままま。 そのハイな状態ででセミナーを行うと、歌ってみたり踊ってみたり・・・ と一風変わったセミナーになるのでした。 う〜、主催者側のメーカーさんは、これをどう思ったのでしょう? |
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変わったセミナーですが、 内容はおもしろいんじゃないかな〜 なんて身勝手な判断をしてしまいがちです。 でもまあ、自慢できる話ではなく、 やはり転んだ話、なのだと反省です。 |
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くれぐれも申し上げますが、今はやってません、はい。 |
まあ、改めて沿革として自分の歩みを書かせて頂きましたが、
本当に七転八起の仕事人生だな、と
感慨深いものがあります。そして、これからも続くんだと思います。
でも、七転八倒ではないのです。七転八起なのであります。いつも前向きなのであります。
仕事は天職だと感じてますし、楽しいです。
今まで応援して下さった方々、お世話になった方々、本当にありがとうございます。
そしてこれからもよろしくお願いいたします。
本当に七転八起の仕事人生だな、と
感慨深いものがあります。そして、これからも続くんだと思います。
でも、七転八倒ではないのです。七転八起なのであります。いつも前向きなのであります。
仕事は天職だと感じてますし、楽しいです。
今まで応援して下さった方々、お世話になった方々、本当にありがとうございます。
そしてこれからもよろしくお願いいたします。