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LLP有限責任事業組合 TEAM会援隊/販売促進事業部 eN

地域工務店・リフォーム店・エクステリア店専門の販促屋「eN」です。

eNの足跡
足跡、なんてカッコいいもんじゃありません。失敗も恥ずかしい思いもうんとこさ重ねてきました。
良かれと思ったことが裏目に出て、お客様にもご迷惑をおかけしたこと、何度もあります。
でも、今こうしてこの仕事を継続できているのは、お客様や多くの方々のご支援のおかげです。
心からそう思います、はい。
みなさんのおかげです
現在僕は「会援隊」の中で販売促進を担当していますが、
住宅産業の販促に係わりだしたのは32歳からなのです。

もともと出版社や印刷会社のデザイナーとしてマーケティングや販促を学んできたおかげで、
まったく知らなかった住宅業界でも、販売促進についてはすんなりと馴染むことができました。

しかし、それから現在に至るまでは七転八起の連続で、紆余曲折の歳月でありました。
その七転八起の仕事人生を「沿革」としてご紹介させていただきます。
平成2年
ダイレクトマーケティングを学びたくて就職したのですが、
この時住宅にはまったく興味がありませんでした。
しかし、住宅業界のマーケティングや家づくりのプロセスを学び、
さらには、住宅業界の中での女性スタッフの戦力化や販促ツールの開発、
セミナーや研修講師等を経験することで、今の僕の基本をつくってくれた会社でした。
生まれて初めてのセミナーで大失態
生まれて初めて担当したセミナー講師。
持ち時間は1時間。
なんせ「はじめて」なので、事前にしっかり準備したつもりでした。
が、しかし、なんと15分で話は終わってしまった。
しまった、と思ったものの話す話がない・・・。
しかたないから、身の上話をしたが、それも長々話せないし、

さて、困った。
冷や汗が止まらない。
で、結局上司にバトンタッチ。本当に恥ずかしかったなあ。
まあ、今となっては懐かしい笑い話です。
 
平成4年
とある日、何を思ったか突然独立を決意。住宅産業に特化した販促屋を自分でやりたくなって。
常識的な一般的な販促やツールづくりではなく、もっと自由でおもしろい、
もっとクリエイティブなコトがしたかったから。
個人事業で始めたんですが、この時の屋号がeNだったのです。

始めたころはお客さんもいないので、いろいろな地域の工務店に飛び込み営業もしました。
「いいものつくるから仕事ください!」「安くチラシつくりますよ!」
こんな声がけをしたのですがそれでは仕事はもらえませんでした。
でも「僕がポスティングするからチラシつくらせてください!」と切り込むと
仕事がもらえたこともありました。
で、若くて体力と行動力には自信があったので、さまざまなアイディアを出しては実行に移しました。

ところが(やはり)そのほとんどが失敗に終わります。
失敗、というより「PDCAを廻して改善する」という大事なことがすっぽり抜けているのですから、
そりゃあ無理でした。
それでも徐々にお客さんが増え、多くの方々に助けて頂きました。
人生の先輩たちとの仕事や飲み会で怒られ、指摘され、応援され・・・本当に感謝です。
あっという間に消えた500万円
eNを開業するにあたり、父親から開業資金として500万円を借りました。
事業計画もなく「何とかなるさ〜」と見切り発車でおっぱじめてしまったのです。

なので、あっという間に運転資金がなくなってしまいました。
 
でもまあ、後ろがなくなってケツに火が付いたことで、
がむしゃら、一生懸命にやりましたから、いい経験になったと思っています。
返済計画通りに父には完済できたし。
平成6年
人脈も増え、お客様も増えたのでeNを法人化しました。
社名は、有限会社エンドレス・ニュー。
仕事が増えて来たのでスタッフも増えました。(増えたといっても最高6人ですが・・・)
当然人件費等の固定費も増え、売上を上げるのに大変な思いもしました。

この頃に「リフォーム」が業界で騒がれてきたようです。
そんな背景から、リフォームを視野に入れた販促策として
平成9年に工務店のOB施主とのコミュニケーションツール「物を大切にしよう新聞」を創刊したのです。毎月発刊し続けてもうすぐ20年になります。
銀行から借入もし、どたばたしながらも12年やってきたのですが、なかなか安定経営には至らず、いよいよ会社をたたまないとだめか、というところに追い込まれ・・・。
 
平成18年
ある方のご紹介で、住宅ネットワークの仕事に携わりました。
その時のご縁で、エンドレス・ニューのスタッフ全員をこの会社が雇ってくれました。
おかげで、エンドレス・ニューをたたむこともしないでよくなり、
今現在まで休業状態で存続させています。

この住宅ネットワークの会社は、建材流通店さんをネットワーク化し、
流通店さんの取引先である工務店に販促の支援をしていました。
その他、経営支援、商品開発、保険等、流通店さんの存在価値を高めるための
様々なソリューションを提供していました。
この時に出会ったのが、会援隊メンバー、天才田中心吾だったのです。
この会社は、各ソリューション毎に事業部制をとっており、僕が担当するマーケティング部に
意気投合した田中君も在籍していました。

会援隊の理念である「地域のつくり手と一緒に日本の住環境をよくする」を実践するためには
どうすべきか?マーケティング部では毎日のように話し合いました。(当然呑みながら・・・)
そんな僕らの想いの強さが、会援隊をつくる、という行動に突き動いたのでした。
平成20年
元住宅ネットワークのマーケティング部のメンバーにデザイナーの渋谷かおるを加え、
メンバーそれぞれが自分の得意な分野を担当してシナジー効果が高まるフォーメーションを組みました。
具体的には、商品開発、販促、営業強化、ツール制作をそれぞれが担当しながら、
「選ばれるしくみづくり」を目指したのです。
おかげさまで、それぞれの強みを活かす仕事が継続できていて、
コツコトと頑張れていること、本当にありがたい限りです。

ただ、ひとつ問題なのは、この「選ばれるしくみづくり」がお客様には分かりにくかった、ということ。
具体的に何ができるのか? どんな効果や成果があるのか? 
高いのか安いのか? が分かりにくい・・・。
そこで、僕が担当する販売促進は特に分かりにくかった、という反省から
このホームページを作成したのであります。
踊るセミナー
初めにお断りしますが、今からお話する「このころ転んだ話」、今はやってません。

僕は仕事で日本全国を駆け回っています。
日本は美味しい食べ物と旨い酒の宝庫です。当然、駈け回る各地で、食べて呑みます。
で、ついつい飲みすぎてしまうことも多く。
そんな日の翌日は二日酔いを通り越して、ハイな状態で酔っぱらったままま。
そのハイな状態ででセミナーを行うと、歌ってみたり踊ってみたり・・・
と一風変わったセミナーになるのでした。
う〜、主催者側のメーカーさんは、これをどう思ったのでしょう?

変わったセミナーですが、
内容はおもしろいんじゃないかな〜
なんて身勝手な判断をしてしまいがちです。

でもまあ、自慢できる話ではなく、
やはり転んだ話、なのだと反省です。
 
くれぐれも申し上げますが、今はやってません、はい。
まあ、改めて沿革として自分の歩みを書かせて頂きましたが、
本当に七転八起の仕事人生だな、と
感慨深いものがあります。そして、これからも続くんだと思います。
でも、七転八倒ではないのです。七転八起なのであります。いつも前向きなのであります。
仕事は天職だと感じてますし、楽しいです。

今まで応援して下さった方々、お世話になった方々、本当にありがとうございます。
そしてこれからもよろしくお願いいたします。
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